2017年1月14日土曜日

時代劇小説『みこもかる』 十二 堀留町

【前回の『みこもかる』は?】八丁堀の池田家の屋敷前で、小者の長助が掃き掃除をしていると、兄貴分の次郎が戻って来た。吉井の紹介で、新しい下女を見つけたという夫重太郎の言伝に、お美代は内心に呆れている様子だった。


     十二 堀留町

 重太郎は佐賀町から引き上げた。
 途中で早めの昼飯を取ってから、調べ番屋に戻って、朝に出来なかった口書に取り掛かった。当然、昼から行くはずだった廻りは取り止めに。
 陽の傾き始めた昼七つ、廻りを終えた吉井が調べ番屋にやって来た。
「何だ、まだ終わらないのか?」
 早く早くと吉井が催促する中、やっとの思いで取調べを終えて、容疑者を牢に戻す。
「おい、終わったぞ」
「おおぅ、待ちかねたぞ。さっ、行こう」
 お互御供を連れて、並んでぞろぞろと歩いて行った。
 吉井は頗(すこぶ)る上機嫌で……こちらは若干鬱気味。娘の泊まっている宿が堀留町で、然程遠くないのがせめてもの救いだった。
「おおぅ。此処だ、此処!」
 吉井が意気込んで中に入って行ったが、人の姿は無かった。
「御免! 誰か居らぬか!」
 白髪交じりの草臥(くたび)れた主人がのそのそと出て来たが、こちらの姿格好を見るなりピンとなった。
「嗚呼、申し訳御座いません。お迎え出来ませんで」
「おう、親仁。信濃屋の半次郎という男と此処で会う事になっているのだが」
「吉井様で御座いますね」
「如何にも」
「はい、確かにお聞きしております。半次郎さんは上でお待ちになられています」
 主人自ら呼びに行くと、半次郎が階段を降りて来た。
「おう! 連れて来たぞ」
「これはどうも、旦那。お待ちしておりました」
「顔は知っていよう?」
「はい、存じています。池田様で御座いますね。半次郎と申します。この度は御足労をお掛けして、誠に申し訳御座いません」
 半次郎の左頬には大きめの目立つ傷があった。古い物みたいだが、やはりどうしても目に付く。これで番頭を任されているという事は、よっぽど仕事が出来るのか。
「ここじゃ何だから、上がるか。おい、親仁。悪いがこいつら、下で待たせてもらうぞ」
 御供は置いてきぼりで……半次郎と吉井に挟まれて、重太郎は階段を上っていった。
 部屋の前で、半次郎が中に声を描けた。
「お藤、開けるよ」
「はい」
 襖の向こうから聞こえたその返事は、妙に艶めかしく、大人びたものだった。歳は十五という話であったが、とてもそうとは思えず。
(うぬぬ。こいつは吉井に一杯喰わされたか?)
 年増の下女を掴まされたと、一人苦虫を潰しつつ……半次郎に続いて中へと足を踏み入れたのだが……目に飛び込んできた娘の姿形は想像したものとは違った。酸いも甘いも未だ知らず、微塵も感じ取れない、まだ少し幼ささえ残したその整った顔立ちに、何より大きな瞳に思わず息が止まった。
 暫くして、重太郎は娘の顔を凝視している自分に気付き、はっと息を飲んで我に返ると、直ぐ様後ろを振り向いた。
 当の吉井は、いやいや、俺もこんな娘だとは知らなかった、本当だ、とでも言いたげに、激しく首を横に振っていた。

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